
「カンテレの日 2025 in JAPAN」テーマ曲 楽譜
昨年に引き続き、今年も9月に「カンテレの日 2025 in JAPAN」を実施いたします!
日本のカンテレ愛好家が皆で同じ曲を楽しめるよう、今年もテーマ曲を定めました。各地で企画される対面イベントで演奏する他、各自が思い思いに楽しんで演奏する様子を、WEBサイトでのビデオ投稿広場にぜひご投稿下さい。
※「カンテレの日 2025 in JAPAN」特設ページは準備ができ次第公開いたします。
※参考:「カンテレの日 2024 in JAPAN」
テーマ曲について(楽曲の概要)
Ievan polkka(イエヴァン・ポルカ)
1995年、フィンランドの歌とカンテレ伝統を礎に音楽活動をスタートしたカルテット“ロイツマ(Loituma)”がデビューアルバムを発表。そこに収録された『Ievan polka(イエヴァン・ポルカ)』は、その軽快な口まわしに誰もが真似をしたくなると注目を浴びました。日本でも初音ミクの演奏を皮切りに、広く知られるようになった楽曲です。イエヴァという女の子を口説くため、彼女の母親にたて突く若い青年の視点が北サヴォ地方の方言で生き生きと表された歌詞は、1928年にエイノ・ケットゥネン(Eino Kettunen; 1894-1964)が書いたもの。しかし旋律は古くからの民謡です。
南カレリアの町サヴィタイパレには歌い継がれてきた古い歌詞が残り、この地域特有の楽曲であると考えられていることから『サヴィタイパレのポルカ(Savitaipaleen polkka)』と呼ばれています。近代カンテレの父マルッティ・ポケラ(Martti Pokela)が、妻であるマルヤッタとのデュオ活動をまだギター伴奏で行っていた頃に『サヴィタイパレのポルカ』の歌をレコードに残しています(下記参考動画参照)が、やはり、早口言葉のような口まわしが含まれ、まるでLとRの発音訓練のようなユニークさがあります。歌詞からそのまま『ティルリルリッティア(Tirlirlittiä)』というタイトルで呼ばれることもあります。
さらには、『エッリン・ポルカ(Ellin polkka)』の名でもほとんど同じ旋律が親しまれています。シンプルなA・Bの2パートで構成されている『イエヴァン・ポルカ』に対し、ほぼ同じメロディながら4パートで構成される『エッリン・ポルカ』は特にアコーディオンやフィドルで演奏されています。
いっぽう、ロシア西部のスモレンスク地方では『スモレンスキー・グサチョク(смоленский гусачок)』の名で、やはり同じ旋律が今でも愛されています。グサチョクとは円形になって踊り競うダンスの一種です。
これらの旋律は、1700年代の後半にはロシアとフィンランドの国境沿いで伝わっていたことが判明しているものの、当時のフィンランド民俗学者たちは“ロシアの舞踊曲“と捉え、フィンランド音楽としては記録しなかったそう。発祥はどうあれ、現在では世界で幅広く愛されているポルカのスタンダードナンバーです。
歌詞
エイノ・ケットゥネンの詩をベースとしたロイツマVer.の歌詞、伝統的な『サヴィタイパレのポルカ/エッリン・ポルカ/ティルリルリッティア』の歌詞をまとめています。歌ってみたい!という方はお役立て下さい。

『Valssi(ヴィルヘルミーナ・ハロネンのワルツ)』
ヴィルヘルミーナ・ハロネン(Vihelmiina Halonen; 1840-1914)は、1800代後半~1900年代初頭にかけて、もっとも知られていたカンテレ弾きです。小さい頃から音楽に触れていた彼女は、幼少期にはヴァイオリンを弾いていましたが、信仰心から”ヴァイオリンやダンスは罪である”と考え、辞めてしまいます。その後、巡回音楽家から習うと、生涯の楽器として病床でも弾き続けました。農業のかたわら装飾画家としても働きいていた夫のオッリ・ハロネン(Olli Halonen)も文化に造詣があり、息子たちと合唱団を形成するほどでした。二人の間には9人の子どもがいましたが、成人したのは5名。長男のアーペリ(Aapeli Halonen; 1863-1928)はハーモニウム(リードオルガン)製作者、次男のペッカ(Pekka Halonen; 1865-1933)はフィンランド史に名を残す画家、三男のアンッティ(Antti Halonen; 1870-1945)は彫刻・建築家、末子のヘイッキ(Heikki Halonen; 1882-1932)はヴァイオリニストです。文化芸術への興味を父母から受け継いだ子どもたちの多くが、農家出身でありながらプロの音楽家や芸術家となりフィンランド史に名を残したのは当時としては非常に珍しいことでした。
ヴィルヘルミーナ、通称“ミーナ”がカンテレで弾いた旋律の多くは、自然や日常生活の中から音楽へのインスピレーションを得たものでした。母親のカンテレを聴くのが何より好きだった子どもたちは自らもカンテレを弾き、父のオッリからカンテレ製作も学びました。1917年、民俗音楽学者A.O.ヴァイサネン(A.O.Väisänen; 1890-1969)は、ヘルシンキでヴァイオリニストとして活躍していた末子のヘイッキが母親から弾き継いだ5弦カンテレの旋律を記録し、翌年には直接ヴィルヘルミーナに会いにラピンラハティへ赴きました。ヴァイサネンは、「フィンランド人の母親が与えられるもっとも素晴らしい遺産、つまりヴァイナモイネンの音楽を子どもたちに残した」と言葉を残しています。
『Valssi(ワルツ)』は、ヘイッキ・ハロネンがヴァイサネンに弾いて聞かせたうちの一曲ですが、次男ペッカの息子で作家であるアンッティ・ハロネン(Antti Halonen; 1903-1985)はこの曲を『牛のベル』と呼んでいました。子どもたちはこの曲をもっぱらマイナー調で演奏したため、ヴァイサネンの楽譜集にもマイナー音階で楽譜が掲載されましたが、ヴィルヘルミーナ自身は明るいメジャーの音階でも弾いていたようです。
1899年9月、芸術家たちが集ってハロネン家で誕生日会をしていた際、この曲を聴いた作曲J.シベリウス(J.Sibelius)は「この旋律には、何かしらヴァイオリンパートも書けるな」と言うと、一瞬のうちに書き上げたと言われています。シベリウス自らが『子守歌(JS222)』と名付けた曲は、ハロネン家の末っ子で若きヴァイオリニストであるヘイッキ・ハロネンに贈られました。もともとシベリウスは2台のヴァイオリン、カンテレ、ギター、歌のために書いたという記録もありますが、ハロネン家のレパートリーとして残ったカンテレとヴァイオリンの二重奏が、現在唯一残り伝えられています。シベリウス作品として公式に初演されたのは1965年、シベリウス生誕100周年記念式典でのこと。カンテレパートは、ヴィルヘルミーナの孫娘であるカーリナ・ハロネン(Kaarina Halonen; 1922-2013)が演奏しました。
「カンテレの日 2025 in JAPAN」テーマ曲 見本動画
テーマ曲をみんなで弾こう!
楽譜どおりのメロディや伴奏例などの見本動画を紹介いたします。
Ievan polkka(イエヴァン・ポルカ)
ただ今準備中です。
Valssi(ヴィルヘルミーナ・ハロネンのワルツ)
ただ今準備中です。
その他の参考動画(Youtube)
Youtubeで公開されているさまざまな動画をご紹介します。
ぜひご自身の演奏時の参考にして下さい。
Ievan polkka
Loituma(歌)
Savitaipaleen polkka (Ievan polkka)
Marjatta ja Martti Pokela (歌&ギター)
Ievan polkka
Y. Hattori (ヨウヒッコ)
Ievan polkka
Carol & KK (カンテレ)
Ievan polkka
アンサンブルみゅう&手島慶子(カンテレ&パーカッション)
Ellin polkka(Ievan polkka)
Honeypaw(15弦カンテレ)
Valssi with violin obligato (JS222)
Hannu Saha & Arto Järvelä(カンテレ&ヴァイオリン)
Vilhelmiina Halosen valssit
PIRNALES (Sinikka Järvinen, Markku Lepistö, Marianne Maans,Pekka Pentikäinen)
“Halosen Valssi” & “Den tredelte Tora”
Maija Kauhanen (5弦カンテレ)
Lapinlahden Valssi
Iso Majava (5弦カンテレ)